先進国でキヌアが人気となることで生産国の貧困層にキヌアが届かなくなるため彼らに栄養不足が生じているというジレンマの存在について2013年1月16日に英ガーディアン紙が報じ、151,976回もシェアされまた多くの他メディアでも参照されるなど大きな影響力をもつ話題となっています。
これが事実かどうかの検証は大掛かりな現地調査が必要とされそうなため避け、私は、このテーマから学ぶべき正しい視点とは何かについて考えたいです。
その優れた栄養価にばかり目がいきがちなキヌアですが、貧困・耕作困難地の栄養・作付け改善という社会的に重要な役割も担うということに改めて留意して問題を整理したいと思います。
キヌアを食べると?
このテーマについてはガーディアン紙が発端と思われますが、日本語で書かれた文章でも触れているものがあるので紹介します。2013年4月15日に国際貿易投資研究所が公開した記事では以下のように記されています。
ボリビアやペルー等のアンデス地域では、キヌアは比較的貧しい人たちの重要な食料である。キヌアが正に地産地消の商品である時代は、低所得層の人々にとって容易に買うことができた。しかし、先進国ではマイナーな商品であるキヌアの国外需要増が、生産国における小売り価格の高騰を招いている。人類の有望な食糧資源であると注目されるキヌアが、生産国の低所得層の食糧難を招くという皮肉な状況も懸念される。
また国連大学のWebサイトでは同じガーディアン紙に掲載された別の記事を紹介して2013年01月30日に以下のように述べています。
世界的な需要が高まるにつれ原産国であるボリビアとペルーではキヌアの消費が減っている。価格が3倍にも跳ね上がったからだ。生産者である彼らは貧しい食事を補うため長く依存してきたこの食料を自分たちで食べずに全てを売ろうとしており、栄養失調になるのではと懸念されている。
〜中略〜
しかし、5000年も昔からあるこの穀物が昔からの消費者、つまりキヌアの生産農家に食べられる量が減少しているという懸念がある。「利益も収入も増えた彼らは、食生活が欧米化しているのです」と農学者でもあるメヒア氏が言う。「10年前には彼らの目の前に出されるのはアンデス料理だけでした。他に選択肢はなかったのです。でも今では選択肢があるため、彼らは米や麺、キャンディ、コーラその他、あらゆるものを求めています」
〜中略〜
価格が高騰したため、ボリビアではキヌアの消費量はどんどん減っています。生産者たちにとっては、キヌアを売ってパスタや米を買う方が価値があります。それで、もうキヌアを食べなくなったのです。
簡単にまとめると、先進国での需要増に起因する国際価格の高騰によりキヌアが現地民にとって手の届かない生産物になってしまい、代わりに安価であるものの低栄養な他のものを摂取することによる栄養不足問題が生じているということのようです。
とある先生の説明
上記問題、キヌアの普及をサポートする私にとって見逃せないテーマだったので大学の先生に聞いてみました。その方は現地ボリビアのキヌア関係者とコンタクトをとっている方なのですが、上記のような事実はそのまま鵜呑みにはできず、旧来のままキヌアは食されているといういち情報を教えてくれました。
もちろん網羅的な調査ではありませんのでこれが事実かどうかも不確定とは言えます。
キヌア映画製作者の話
「楽しみすぎ!キヌア映画「母なる穀物」の先行まとめ」で紹介したStefan JeremiahとMichael Wilcoxによると以下のような変化があるそうです。
ボリビアの農家は今や新鮮な果物や野菜に手が届くようになり、子ども達により良い教育を受けさせ、よりハイスタンダードな生活を楽しむことができるようになった。
〜中略〜
メディアは些細なことを採り上げ、センセーショナルに仕上げた。それが農家を痛めつけつつある。
ジレンマ問題まとめ
上記でオリジナルの問題提起と反証らしいもの2つを挙げましたので冒頭の「学ぶべき正しい視点」について考えたいと思います。
ある製品に人気が出れば価格が上昇して低所得層の手に届きにくいものになるのは市場の原理です。市場が万全ではないことは明らかな一方、現状それに代わる画期的な経済システムは普及していないため、市場原理の弊害をなんとか人力でカバーしていくのが採り得る最善策で、市場が持つ大きな力のメリットを享受しながらほころびを修復しつつソフトランディングしていくのが良いと思われます。
農家のQOLが向上したというメリットの影にある栄養不足という弊害に対しての、ペルーにおける幼児のキヌア摂取奨励キャンペーン支援やボリビアでの学校給食への取り入れといった施策がこれにあたります。ボリビアの貧困層出身と言われるモラレス大統領にとっては政治的な選択という面もあるでしょうが、製品が栄養評価など人々の生活に深く関わる食品である以上、手放しにしてはいけないという姿勢には好感が持てます。
儲かれば良いか?
決してそうではないことは先進国・発展途上国問わず多くの人がもはや無意識のうちに感じていることです。市場の見えざる手が万人に幸せを提供する「神」となるには諸々の条件が必要と言えそうで、それが貧困や生活のクオリティに逼迫した食品のこととなるとその力は限定的と言わざるを得ないように思います。効率は上げられても自動化はできない、常に生身の人間によるマネジメントが必要なのではないでしょうか。
キヌアブームは人を殺しません。
そういった問題があるとすればそれはキヌアに限ったことではなく、過去に何度も繰り返されてきた社会問題であるはずです。そこで私たちが立つべき視点は、センセーショナルな指摘に過敏になることではなく、過去から学びながら、また失敗を恐れずプロジェクトを進めていくことです。
「国際キヌア年エキスポ2013で話された大事なこと」で紹介した、日本のキヌア大家小西先生による、キヌアが一時的なブームになって欲しくないという発言は多くを語ります。一部の熱狂的な健康志向家がもつ嗜好に振り回されるのでなく、万人に等しく行き渡る果実として、キヌアのもつ様々な利点について私たちは冷静に判断してゆっくりでも着実に世界の審判に問うべきものと考えます。
参考:Can vegans stomach the unpalatable truth about quinoa? | Joanna Blythman | guardian.co.uk